2014年8月28日木曜日

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2013年1月7日月曜日

“サポーター”への書き初め


サッカーを愛する皆さま、ご機嫌いかがでしょうか。
年初という行事のなか、自分はといえば名古屋の実家に省り
ひさびさにゆったりとした時間を過ごしてまいりました。
酒を酌み、節を祝う。毛布にくるまり、読みたかったマンガを読む。
年ごとの習慣も集う人びとや時期が変われば、いつもと異なるものとして映り、
立ち上がる。今までも-そして、これからも-そうだったのかもしれません。
例えば、以下のような一節でさえも。

バスケットブームといわれている今日この頃ですが(92年12月現在)、ちょっと気になることがあります。確かに街にはNBAのウェアがあふれ雑誌やTVのCMにNBAのスターが登場し、ストリートバスケットという言葉も聞くようになりました。でも日本のバスケは?日本のバスケ選手の名前がパッとでてきますか?今のバスケ熱が日本のバスケの強化につながることを願っています。(井上雄彦「スラムダンク#11」)

およそ20年ほど前の、現在の巨匠のひとことに
自分はふと日本のサッカーのことを想いました。
サッカーブームといわれている今日この頃ですが(13年1月現在)、ちょっと気になることがあります。確かに街にはBPLのウェアがあふれ雑誌やTVのCMにLa Ligaのスターが登場し、ストリートサッカーという言葉も聞くようになりました。でも日本のサッカーは?
13年1月、日本のサッカーに、現状に、この問いを突きつけることは野蛮か。
こんなことを-名古屋の片田舎でひとり-夜な夜なひっそりと考えていたのです。

遡れば。井上氏のことばの翌年、日本ではJリーグが開幕し、
ヴェルディ川崎が初代チャンピオンに輝きました。
(思えば、欧州連合/EUが発足したのも、北朝鮮がノドン1号を試射したのも、
自民党による55年体制が崩壊したのも93年でした)
また、のちに「ドーハの悲劇」と呼ばれる喜劇によって、
日本のナショナルチームがW杯への初出場を逃したのもこの年です。
このように多くの兆しに満ちた93年を-ひとまずの-エポックとして見定めたとき、
現在の日本のサッカーは、またそれを取り囲う状況はいかなるものとして
立ち上がるのか。年始めなので、的を絞って簡潔にいきましょう。

例えば、現在Jリーグには40ものクラブがあり(J1-18クラブ、J2-22クラブ)、
それぞれのクラブには、とうぜん各クラブを応援する“サポーター”がいる。
“サポーター”とひとことでいっても、その立ち振る舞いはじつに様々で
生活や魂のすべてを己のクラブに捧げ続ける“コアサポ”から、
たまには「おらが村」のサッカーでも観てみようという“ライトサポ”まで
スタジアム、あるいはテレビ画面の前には毎試合、
「有象無象」の“サポーター”が存立している/いた。
しかし、この本来「有象無象」であったはずの“サポーター”たちが
時とともに精鋭化し、反共化してきているというのが私の実感です。

マルクス/エンゲルスの定義を引くまでもなく、共産主義(コミュニズム)とは
私有財産制への抵抗を基調としたイズムです。
いわば、個人による対象の私有化を防ぎ、そのプロセスが生み出す盲目に
光を射し当てるものだといえる。
日本のサッカーに置き換えれば、ナショナルチームやクラブの私有化に抗し、
サッカー自体への愛(!)に向けて、世界の意識を変革しようと願うイズムです。
しかし、このイズムが「チーム愛」のひとことで片付けられているのが
現在の日本のサッカーを取り巻く状況ではないか。
無知による反共化、そして、そこには対象がサッカーである理由など実はひとつもないのではないか。

自民党の圧勝によって幕を閉じた昨年の衆院選。
憂い、追い払うべきは左翼の敗北でも国家主導の右傾化でもなく、
国民ひとりひとりの反共化なのだとわたしは思います。
そして、反共化のために「日の丸」や「対外思想」といった
装置がいとも簡単に、また迅速に表象に組み込まれることを
-われわれは-歴史から、文献から知ることができる。
コマーシャルが技術と結びついたとき、妖しさは容易にひとを狂わせてしまう。
そう、以下の一文のように、です。

今日、高須さんといっしょに午後から神田の松竹映画劇場にゆく。今日封切りの「ハワイ・マレー沖海戦」を見るためである。(中略)劇場はおそるべき満員で、最初の一回は立見席で殆ど見ることが出来なかった。二回目には落着いて見ることが出来た。これは東宝がその航空映画に於ける本領を最高度に発揮したもので、海軍航空隊の攻撃魂が完成するまでの訓練過程を淡々たる劇に仕組み、最後に壮絶なハワイ・マレー沖海戦を展開する。特に、ハワイ海戦に於て、オアフ島の山脈をかすめ翼をそろえて翔け下りてくるわが攻撃機、ことし正月の新聞に出た海軍航空隊撮影の歴史的写真と寸分変らぬセットの見事さ、白い航跡を曳いて走る魚雷の突進、噴き上る米太平洋艦隊、それから、乱雲の中を飛びつづける味方編隊の彼方を、訣別の手をふりつつ機尾から一条の白い煙を曳いて自爆してゆく悲壮な犠牲の一機―など、日本人の心を奮い起さずにはおかない傑作であった。(山田風太郎「戦中派虫けら日記」)

だからこそ、ではありませんが、一つの旗のもとに忠誠を誓うこと、
そして、そのことによって他人との対話や範疇外の対象に対する思考を
停止させてしまうことに-今年も-自分は警鐘を鳴らしていきたいのです。
「地元」や「他クラブへの敵対心/無関心」自体が「日の丸」や「対外思想」の
矮小化されたものに過ぎない。
世界を見ずに日本だけを見る、他クラブを追わずに地元のクラブだけを追う、
そして、サッカー/歴史とは遠く離れた場所で「私だけの唄」を唄う。
このような無意識の積み重ねの果てに戦争があるのだ、と。
こうした「飛躍」を叩き台とした対話を、毎晩どこかで誰かと続けていきたいのです。

罪なくして投獄せられる国家にあっては、正しき者の棲家は牢獄である、とトーローはいった。この言葉とはニュアンスが違うが、たしかにいま全世界は狂っている。毎日の新聞を、ふと眼を洗って見ると、真に愕然とさせられるものがある。狂え、狂え、狂え!地球を覆う嵐の中に聞こえるのは、ただこの声ばかりである。崇高な狂人の話が毎日狂熱的にのせられる。自分は狂っていないと考えるものは黙っている。何かものをいいたければ、必ず狂ったことをいわなければぶじではすまない世の中なのである。(山田風太郎「戦中派虫けら日記」)

93年のJリーグ開幕時、ある種の「有象無象」として、
ヴェルディ川崎(旧・読売サッカークラブ)や
ジェフユナイテッド市原(旧・古河電気工業/東日本JR古河)を
見守っていた“サポーター”はいまどこで何をしているのでしょうか。
また、横浜フリューゲルス(旧・全日空横浜サッカークラブ)の“サポーター”は。
20年という月日が経ったいま、紆余曲折を経て
当時応援していたクラブの変容/消失を目の当たりにした“サポーター”の
-日本のサッカーへの-回帰をわたしは待ち侘びています。
そして、最後にその動機のひとつが「東京ヴェルディ」や「ジェフユナイテッド千葉」の
J1復帰なのだと今いちど強調しておきたい。(次の夜の叩き台として)
明白な旗色を持たないもの、いわばサッカーを愛する「有象無象」=労働者による
変革を年初よりもう一度信じてみたくなったのです。
-Jリーグが始まったばかりのあの頃のように-
国に、地元に、そして、クラブに、
「狂え!」と呼びかける情勢に流されることなく、ただただ中立であり続けること。
日和見や静観ではなく、積極的にサッカーに関するすべてを求め続けること。

労働者は祖国をもたない。かれらのもっていないものを、彼らから奪うことはできない。(マルクス、エンゲルス「共産党宣言」)

「サッカーブーム」、「反共化」、「クラブ愛」。それらが形作られたものならば、きっと-また-変えられるでしょう。

2013.1.6 今年も宜しくお願いします。

2012年6月21日木曜日

複数のシェフチェンコ


ドニェプルが ウクライナから すべての敵の血潮を 青い海へ おし戻すとき
わたしは 畑も山もすべてをすてよう 神のみもとに かけのぼり 祈りもしよう
だがいまは 神の ありかを知らない(タラス・シェフチェンコ「わたしが死んだら」)

シェフチェンコとは誰か。
多くのウクライナ人にとって、この問いには二つの答えがあるという。
ひとつは「詩人のタラス・シェフチェンコ」(1814-1861)。
宇都宮徹壱の「シェフチェンコ 誇りを胸に」によれば、
「帝政ロシアに抑圧された、自民族の悲哀を詠った」この詩人の名は
今やキエフのメインストリートにも刻まれており、
「市内には彼の銅像も記念館もある」そうだ。
つぎに「サッカー選手のアンドリー・シェフチェンコ」(1976-)。
ウクライナのサッカー史上、最も多くの得点を重ねた彼のことを
ひとびとは敬意を込めて「ウクライナの矢」または「シェヴァ」と呼ぶ。

シェフチェンコには「ウクライナの矢」(これは元々、かつての欧州最優秀選手で、現ウクライナ代表監督のブロヒンに与えられた愛称である)の他に、「シェヴァ」という彼特有の愛称がある。「シェヴァ」は彼の名前、「Shevchenko」から来ている。頭を取り、少し訛って「シェヴァ」。実はその「シェヴァ」が、ヘブライ語で「7」を意味するという(山田貴史「背番号7のエース」)

シェヴァとブロヒンという二本の「矢」が他国に向けて放たれる。
大会を前にウクライナのひとびとが思い描いていた
絵図の鮮やかさは想像に難くない。
自国開催、EURO本大会初出場、シェヴァ最後の代表戦という
画材を加味すればなおさらに、である。
そして、2012年6月11日のグループリーグ(以下、GL)初戦、
ハイライトは突然に訪れた。
この日、キエフのオリンピック・スタジアムで
スウェーデン相手に彼が決めたふたつのゴールは、
すぐに世界へと広がり、やがて語り草となった。


(リンク切れの場合は右のリンクを参照→http://www.ffu.org.ua/ukr/fans/video/106/

例えば、日本への伝わり方はこうだ。「“35歳”のシェフチェンコがふたつのゴールを挙げて、勝利に貢献したそうだ」、「試合後のインタビューで彼は“20歳になったみたいだよ”と言ったらしい」。
http://bit.ly/OlTGMs
試合の当日から翌日にかけて、twitter上で一時「シェフチェンコ/Shevchenko」というワードがトレンドになるほどに、多くのひとびとが「ウクライナの矢」に見とれ、その軌跡を誉めたたえた。まるで「人生の疲労は年齢には関係がない」といった安吾(「いずこへ」)の言葉などなかったかのように。



インタビューの中で彼は何を語っていたのか。
試合後、何人かの知人に尋ねたところ、およそ次のような答が返ってきた。
「問題の“Сегодня я помолодел на 10 лет”という部分、
すなわち、“20歳になったみたい”と訳された部分だが、
それよりも“Today I am 10 years younger”つまり、
“今日、わたしは10歳若返ったようだ”と訳した方が正確だ」。
「次の“Из-за травмы колена”という部分も
同様に“Due to a knee injury”、“膝の怪我のため”」と。
(インタビューの全文/原文は右のリンクを参照→http://bit.ly/NcSHfe
“10年前”といえば、ちょうど彼が最初の膝の怪我から復活を遂げた頃である。

2002-03年のシーズンは、最悪のコンディションで迎えることになった。欧州チャンピオンズ・リーグ(以下、CL)予選、チェコのスローヴァン・リベレック戦で受けたケガが原因だった。診断は、左ひざの関節間軟骨に問題があるということだった。74日間の入院を命じられたが、ピッチに戻ってきたその日に、早くもゴールを決めた(エンツォ・カターニア「シェフチェンコ ACミランと共に」)

上のキエーボ戦でのゴールの後、シェヴァは徐々にコンディションを取り戻していった。
同書にはその過程がミランのフィジカルコーチ(ダニエーレ・トニャッチーニ)の言葉とともに強調されている。
「ジャンプ力の測定に、垂直飛びというテスト項目がある。
以前は50センチしか跳べなかったアンドリーも、今は60センチに届くほどだ」。
復帰後、以前よりもヘディングでのゴールが増えたことを引き合いに
彼の「維持管理」の徹底さを報じる記者もいたという。
そして、ハイライトはシーズンの終盤に訪れた。
CLのGL、レアル・マドリード戦(@サンシーロ)。
そこで挙げたゴールによって、彼はロッソネーリの伝説となった。



もちろん、これらはひとつの見方に過ぎない。
「GLのゴールよりも決勝のユベントス戦で決めたPKの方が意義深い」、
「いや決勝後のスーパーカップ、ポルト戦での決勝点の方が印象に強い」など
ティフォーゾによって、記憶の明度は様々であろう。
続く2003-04シーズン、
彼がセリエAの得点王となってチームを優勝に導いたことも、
その年のバロンドールに輝いたことも、
また“20歳”の彼がウクライナ代表での初ゴールを決めたことも、
総じてそれらは誰かにとってのハイライトであるに違いない。
だからこそ、逆説的に言おう。
ハイライトはひとつではない。だからこそ、誰にでも見立てることができる。

若さ=“20歳”の押し売りと同時に、日本の「シェヴァ」をもアイドルに仕立て上げる。
http://bit.ly/Md8JJ3
以前、「ク・ジャチョルのパンツ」を書いた頃から
国内のサッカージャーナリズムは何も変わっていない。
「だが、現状を嘆くよりも」見立てを変え続ける方が「はるかに実践的であろう」。
大文字の“メディア”がかつての役割を終えたいま、要されるのは間隙を縫う手つきに違いない。
縫い方は歴史が、矢の引き方は複数のシェフチェンコたちが教えてくれる。

シェフチェンコとは誰か。
わたし/あなたにとって、この問いには無数の答えがある。
そのうちのひとつ、「詩人のタラス・シェフチェンコ」。
冒頭に添えた詩には以下のような続きがある。

わたしを埋めたら くさりを切って 立ちあがれ 
暴虐な敵の血潮と ひきかえに ウクライナの自由を かちとってくれ
そしてわたしを偉大な 自由な あたらしい家族の ひとりとして 忘れないでくれ
やさしい ことばをかけてくれ(タラス・シェフチェンコ「わたしが死んだら」)

2012年6月19日のGL最終戦、
幻と消えたデビッチのゴールが認められていたら、
その後、シェヴァが再び試合の決着をつけていたら、
「すべての敵の血潮」は「青い海」へと、おし戻されたのだろうか。
問いに対して、わたしは否と答えたい。
祖国の独立にもオレンジ革命にも立ち会えなかったタラスと同様に
アンドリーもまた女神の「みもとにかけのぼ」ることは叶わなかった。
だが、歴史を辿ったとき、それは同時に「自由」を巡る闘争の継続を
来たるべき革命の反復を意味する。
その瞬間まで複数の見立て=差異を持ち続けること。
答え/ヒントは論旨に分配できたはずだ。
そして、その手つきはすべてシェヴァから学んだものである。


シェヴァの幸運と健康を感謝とともに心より願う。 2012.6.21


【主要参考文献】

わたしが死んだら―シェフチェンコ詩集 (1964年)
わたしが死んだら―シェフチェンコ詩集 (1964年)

シェフチェンコ (COSMIC MOOK サッカーベストシーン 5)
シェフチェンコ (COSMIC MOOK サッカーベストシーン 5)

シェフチェンコ―ACミランと共に
シェフチェンコ―ACミランと共に

サッカーベストシーンシェフチェンコ[DVD] (<DVD>)
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風と光と二十の私と (講談社文芸文庫)
風と光と二十の私と (講談社文芸文庫)

2012年6月2日土曜日

コンサドーレ札幌


【エンレム・フラグ】





【ユニォーム・・・左HOME/右AWAY】





【マスコット・・・ドーレくん(北海道に生息するシマフクロウがモチーフ)】





【スタジアム①・・・札幌ドーム(通称「Hiroba」)】収容人数:41,484人


地下鉄東豊線「福住」駅 3番・4番出入口より徒歩10分
シャトルバス発着駅
1.地下鉄南北線「平岸」「真駒内」駅
2.地下鉄東西線「南郷18丁目」駅
3.JR「白石」「新札幌」駅
[車利用]事前に駐車券購入者のみ札幌ドーム駐車場利用可能(TEL:011-850-1000)

【スタジアム②・・・札幌厚別公園競技場(通称聖地・厚別」)】収容人数:20,005人



地下鉄東西線「大谷地」駅より徒歩20分
シャトルバス発着駅
1.地下鉄東西線「大谷地」駅
2.JR「新札幌」駅発着


【オフシャルスンサー(一部抜粋)】


ベガルタ仙台


【エンレム・フラグ】






【ユニォーム・・・1st HOME/2nd AWAY】






【マスコット・・・ベガッ太(クラブ名の由来となった星のひとつである彦星の属する「わし座」に由来する鷲がモチーフ)】


 



【スタジアム・・・ユアテックスタジアム仙台(通称「ユアスタ」)】収容人数:19,694人



☞JR仙台駅より地下鉄乗車、泉中央駅下車徒歩4分
☞東北自動車道「泉I.C.」から車で約20分(試合日は混雑いたします。地下鉄をご利用ください)
☞[車利用]スタジアムの近くには1時間100円の駐車場が多数あり。




【オフシャルスンサー(一部抜粋)】



【HP】

モンテディオ山形


【エンレム・フラグ】







【ユニォーム・・・左HOME/右AWAY】





【マスコット・・・①ーオ(山形の県獣であるカモシカがモチーフ)②モンテ(出羽三山が合体して(頭部の三つの突起が現している)できた巨大でユーモラスな山の神)】


 




【スタジアム・・・NDソフトスタジアム山形(通称「んだスタ」)】収容人数:21,292人



☞JR奥羽本線、山形新幹線「天童」駅よりシャトルバス/タクシーで約15分
*シャトルバスは開催時のみ運行
☞JR「山形」駅よりシャトルバス/タクシーで約40分
*シャトルバスは開催時のみ運行
☞[車利用]山形県総合運動公園内特設駐車場利用可能。山形自動車道「山形北I.C.」より国道13号線を北進



【オフシャルスンサー(一部抜粋)】




【HP】